逃避家は言う。
「本物のダイヤモンドに行き着くために、
あなたの色のついた石を放棄しなさい」と。
スーフィーは正反対のことを言う。こんなふうに。
「本物のダイヤモンドに行き着きなさい。
そうすれば、本物でないものは自然にあなたの生から落ちてしまうだろう」
本物を知ることで充分だ。
まさに、それを知った時に偽物は捨てられる。
それは、あなたに何の傷跡も残さない。
禁欲主義者は大きな傷で苦しんでいる。
彼はまだ熟していない。
さもなければ、果実は樹木であるところの肉体には、
何の傷跡も残さずに落ちてしまっていただろう。
もし果実がまだ熟していないのに
あなたがそれをむしってしまえば、
そのことで樹は傷つき、果実は傷つく。
その両方が傷ついたままになるだろう。
あなたは、熟した果実が自然に木から落ちる美しさを観たことはないだろうか。
静かに、自然に落ちるさまを。
樹は果実が落ちてしまったことに気づいてさえいないかもしれない。
果実は、樹がもはや自分と繋がってはいないことに気づいていないかもしれない。
OSHO: Unio Mystica. Vol 1 ♯7